凹凸のある豆腐の雑記

発達障害グレーゾーンの豆腐による雑記。二次障害(躁鬱など)治療中。

【不登校】の子供が言われて嬉しい言葉3選

こんにちは。不登校児だった凹凸豆腐です。

 

以前登校していなかった間に言われたくなかった言葉をまとめましたが(下記リンク↓↓↓)、今回は逆に嬉しかった台詞を書いていこうと思います。よろしくお願いします。

 

outotsu-touhu.hatenablog.com

 

 

「○○を頑張ってて偉いね」

 

学校に行っていない間お子さんが全く何もしていないというケースは少ないと思います。

その間に勉強をしていたり、趣味の腕を磨いていたりする子は少なくないはずです。

 

それが何であろうと打ち込めることがあるのはそれだけで素晴らしいことです。学校に行っていなくても「あなたは何かに一生懸命になれてすごい」と伝えられるととても嬉しい気持ちになります。

 

 

「優しくていい子に育ってるね」

 

これは逆に寝てばかりいる、ぼーっとしていることが多いお子さんに向けて言える台詞です。

 

登校拒否というストレスの多い環境下で誰かに八つ当たりしないのはその子の穏やかな心の現れです。

そのこと自体を褒められて悪い気持ちにはならないと思います。

 

「焦らずゆっくりいこう」

 

これは僕が1番安心した言葉です。総合教育センターの相談員さんからこうして声をかけてもらいました。

 

登校をなんとか再開させなければと焦る母と、母を責めて怒鳴る父の狭間にいた自分にとっては救いでした。

理由に関わらず不登校中に最も必要なのは味方であり、周囲の寄り添う姿勢です。まず責めるのをやめ、ゆっくり様子を見てあげてください。

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

元不登校児の現在

 

こんにちは。登校拒否をしていたことがある凹凸豆腐です。

今回はかつて不登校だった子供が現在どうなっているのか、現実的なお話をしていきます。

よろしくお願いします。

 

 

思ったよりはマシ

 

不登校真っ只中の自分は、成人したら自分は毎日家に閉じこもってろくに働けないままお金も食べ物もなく死ぬんだろうと思っていました。

 

しかし僕はバイトをしており、少ないながらも同じところに勤め続け毎月決まった額を稼いでいます。

 

学生の時引きこもりを経験したからといって、必ずしも将来ニートになるとは限りません。

 

不登校の弊害

 

これはいじめられたトラウマもあるのですが、やはり人と関わっていない時間が多いと人が怖くなります。

社会人1年目は人が通る度にビクビクしていました(今はさすがに慣れた)。

 

あと、周りがコミュニケーションを学ぶ時期に人と一緒にいなかったのでコミュ力は低いです。

こちらも慣れますが、リハビリ期間があると思った方がいいです。

 

環境による

 

会社に勤め始めてしまえば思ったよりも不登校という過去はあまり関係ありません。

 

僕もこんなですが一応生きています。

 

ただ、これはもう環境によるとしか言えません。

 

自分の場合は家族に理解があり家に置いてもらえているので資金が少し(家にお金は入れている)で足りますが、一人暮らしをしたらそうはいきません。

 

そういった場合は主治医や行政に相談したり、支援を受けたりするのが一番でしょう。

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。ゆっくり焦らずいきましょうね。それではまた。

行けなかった修学旅行。その中で嬉しかったこと

中学校時代、不登校でした。

↓↓↓下の記事でお話した先生が恐らく図ってくれたであろうある出来事が僕の中で思い出になっています。

outotsu-touhu.hatenablog.com

 

修学旅行が決まっていた僕の学年。しかしそのクラスに変わってから一度も登校していなかったため参加をすることなく旅行は終了。

 

そんな僕に、先生はあるものを持ってきました。

 

「これ、あげる。一緒の班の子達が君にって。みんなで選んで買ってくれたみたいだよ」

 

渡されたそれは、小さなキーホルダー

 

すごくびっくりしました。

 

会ったこともないクラスの人達から何かをもらうなんて想像もしていなかったからです。

 

ただ、さすがに中学生とはいえ思いました。

そんなことをしてくれる人達が本当にいるのか?と。

 

推測ですがこれは担任の先生が気を使って、班の子達に不登校の僕へお土産を買ったらどうかと提案をして、その上で買って貰えたものなんじゃないかなと思っています。

 

でも僕にとっては、もしかしたらクラスの人達が自主的に買ってくれたかもしれないもの

そうでなかったとしても、先生の精一杯の優しさが感じられたのでとても嬉しかったです。

 

 

不登校期間中のひとときの幸せでした!そのキーホルダーは今も大切に使っています。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

【不登校】の子供が言われたくない言葉3選

 

こんばんは。元不登校児の凹凸豆腐です。僕が当時言われてめちゃくちゃ辛かったことを下から順にランキング形式で発表していきたいと思います。

 

 

「今日は休み?」

 

近所の方や親戚から言われがちなこの台詞は3位。家族がどれだけ気を使っていても避けられないという点も良くないですね。

 

これを言われると、勇気を振り絞って外出してもまた同じようなことを聞かれるかも…と怖くなり引きこもりがちです。

 

「将来どうするの?」

今日学校に行く。明日学校に行く。その少し先の未来の行動がとてつもない困難に思えている子供に対してこの台詞はかなり厳しいです。

 

そんな先のことは考えられません遠回しに不登校を責められている気分になります。

 

「学校行きなさい」

 

ド定番のこの言葉が堂々の1位にランクイン。ベタですが本当に言われたくありません

 

そもそも行きたくないから行っていないか、行けないから行っていないのどちらかなので、言われたところで行きませんし行けません

 

原因を探ってあげてください。なんで行かないの?も直球すぎてギリアウトです。

 

 

最後に

周りが思っている以上に不登校になっている子供は追い詰められています。言葉にできていないだけで自殺1歩手前まで心を病んでいるかもしれません。

無闇に責めることはやめ、じっくり時間をかけて解決策を探しましょう

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

不登校から立ち直ったきっかけ

 

こんばんは。今日は僕が不登校状態から脱した時の話をしたいと思います。よろしくお願いします。

 

さて、肝心の本題なんですがめちゃくちゃ単純です。中学校時代の不登校は、高校に通い始めることで直しました

(遡って小学校の登校拒否は学年が変わりクラスや担任の先生が変わった時に直して通い始めました)

 

これは通いたくなった訳では決してなくて「高校卒業資格を取っておかないと将来のことを考えたらヤバい」と焦っただけの話です。

 

中学生だった当時は毎日死にたくて仕方がなく、卒業する前に自殺しよう、そしたら誰にも迷惑がかからないしこの先将来働けなくても困らない。そう思っていました。

 

が、人はそう簡単に死ねません。そもそも自殺する勇気があるなら多少の困難は乗り越えて普通に生きていけるだろうと僕は思います。

 

死への恐怖や痛みへの恐怖にまんまと支配された僕は自殺などできず将来の選択肢が大幅に狭まることを恐れて進学したのです。

 

 

学生時代に2度登校拒否をして2回とも立ち直りましたが、やっぱり年度が変わったりクラスが変わったりといった環境の変化はとても大きいです。

 

それと高校の資格が欲しいと焦って行き始めたのは事実ですがこれは自発的に感じた焦りであって周りから急かされてプレッシャーを与えれていたら行けなかったと思います。

 

無駄な圧をかけないこと・環境を変えることが大事だと思います。当たり障りのない結論になりましたが僕の場合はそれが事実でした。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

生きている意味はあるのか

 

こんばんは。今回は生きる意味について考えていきたいと思います。宜しくお願いします。

 

生きていると誰かの役に立っているだとか、生まれてきたことにこそ意味があるだとか、世の中色んな「生きている理由、生まれてきた訳」が飛び交っています。

 

僕自身不登校で孤独だった時色々と考えましたが、生きている意味なんて別にないと思います。

 

人間は沢山のことを考えるので難しく捉えているだけで、そこらへんを歩いている蟻や誰かと散歩している犬はそんなことを考えていないと思います。ただごはんを探したりもらったりして、疲れたら眠って朝が来たら動き出す。それだけです。

 

なので人間もつまるところ同じなんじゃないでしょうか。そもそも生まれてきた理由なんて両親が子供を授かりたいと思って出てきたに過ぎずそこに自分たちの意思はありません。

 

しいて挙げるならば、生きていれば出会いがあることでしょうか。

僕の場合恩師や職場の上司や友達に恋人、世話をしてくれたペット(自分が世話されていた笑)に出会えました。自殺を考えていた時期に本当に死んでいたら出会えなかった人たちです。

 

難しく考えず、ご縁を大事に生きていくのも悪くないんじゃないでしょうか?

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。それではまた。

 

不登校中に世話を焼いてくれた先生の話

 

こんにちは。僕は小学校と中学校で二度不登校になりました。中学の時の担任の先生の対応が素敵でずっと心に残っているので、それを書きたいと思います。

 

 

悲しい事実ではありますが、生徒が不登校になったところで真剣に向き合ってくれる教師はほんの一部です。クラスには何十人も子供がいてそのうちの学校に来なくなった生徒のケアは後回しにされがちです。

 

 

ですが、中学2年・3年と担任を務めていた一人の先生は真摯に向き合ってくれました。

 

まず、登校しろと迫ってくることは一度もありませんでした。僕がどうして登校しないのか、どうしたら来られるのかなど気になる点は沢山あったでしょうに何も聞かれませんでした。

 

これがなんと有難いことだったか。

当時の僕は自分の思っていることを言語化するのが本当に苦手で自分自身なぜ登校しないのか纏められませんでした。

それに、聞かれたところで行くつもりはありませんでしたし、たわいもない話で関係を築いてくれてとても助かったのを覚えています。

 

昨日家であったこと。好きな本、映画。本に関しては漫画も小説も色々貸してくれました。読み終えて返した時も、綺麗に返してくれてありがとう。読み方が丁寧なんだね、真面目な性格がよく出てるねと褒めてくれました。

 

不登校中というのは、自分を責め、親からは白い目で見られ、友達とは疎遠になり孤独を味わっています。そんな時こういう風に声をかけて認めてくれたことがとても嬉しかったです。

 

そのうち、「図書室にも同じシリーズの本を置いたからよかったら来てみて」と言われました。彼女なりに学校に来られるよう計らってくれたのだと思いますが、本当に僕にクラスで会いたいと思っているんじゃないかと感じるほど、真っ直ぐなものでした。

 

不登校になる前に虐めてきていた生徒が同じクラスだったのでとても登校を再開する気にはなりませんでしたが、ある日訪れてみた静かな図書室のことを今でもよく覚えています。

 

この場所に逃げられたなら学校へ通えていたかもしれない……そう思いました。逃げ場所は大事ですね。

先生が学校にお願いして買ってくれたという本も確かに並んでいて心が暖かくなったあの日のことを、僕は一生忘れないでしょう。